それは 逃げ なのか? 賢明 なのか?

よくペン回しの達人の動画を見たりするけど、
あれってすごいなぁと思う。俺は一回転もさせられないもの。
ギターの動画でも、サーカスの動画でも、オリンピックでもなんでもいいんだけどさ。
もしくはテレビでやってたスーパークリエーターのプログラムなんか見てても、
人間業じゃねぇよこいつ、て思うんだけど・・・

みんな人間なんだよね。

例えばもし、それらすべての能力が人間に備わってたらどうだろうと思うのだ。

視力は4.0で言葉は20ヶ国語くらい余裕でペラペラ。100メートル走は9秒台で、
マイクロサイズの紙飛行機を折ることができて、
コンマ数万分の1の水平を作りあげることができて、
もちろん絶対音感を持ってて、一度見たものは忘れることがなく、
フラッシュ暗算なんてお手の物。持っただけでお米や水の重さがわかり、
飲んだだけでワインの種類を判別できる。
針の穴を通すほどのダーツさばきに、
あっという間に6連発リボルバーで飛んでる皿を割ることができる。
122歳まで生きられるし、総資産は個人で5兆円以上。
あらゆる学術はノーベル賞クラス。
あらゆるスポーツはオリンピッククラス。

そんな奴いねぇよ。て思うじゃん?
でも俺が今例に出して言ったこと一つ一つに関しては、
人間は既にクリアしてるわけです。

おそらく人間には時間が限られてるし、
実際シーソーバランス的なものもあるから、
ある一面をひたすら鍛えれば、ある一面には向かない体になるのかもしれない。

でも、世界に一人くらいはホンマもんのヒーローがいたっていいじゃない?

なんでいないんだろう?
僕は中学生くらいのとき、本気で思ってました。

なんなら、頑張れば僕がそのヒーローになれるかもしれないと。

何か、何かを一つとてつもなく極めれば人間を超えることができて、
神になることができると。
結局、何に夢中になればいいのかわからず、無駄に時間を過ごしてきたのだけれど。

でも、最近、ちょっとだけ・・・思考が変わりつつあるのです。

当たり前じゃんと思う人がいると思うのだけれど、
当たり前と決め付けることはやはり可能性を狭めることにつながるので、
それは「理性的に考えて」やっぱり、素直に当たり前と思いたくないのです。

でも、変わってきた。

それはこういうことでした。

「なんだ、子孫にたくせばいいんじゃん」

・・・・。

いや、普通とか言わないでくださいよ。
うん。僕にとってこれは非常に大きな問題なのです。

僕は僕自身がヒーローになりたかった。
僕は大金持ちになって、不老不死の研究を重ねて、
例えばES細胞やサプリメントの研究をしまくって、
細胞を活性化させれば通常の人間の何倍も長生きできるはずだと。
もっと外道なこと言えばクローンでも作って、人体パーツをとっかえでもすれば、
脳細胞さえ衰えさせなければ、現代の技術でも心臓や骨髄や、
顔すら移植できるんだから、半永久的に生き続けられるんじゃねぇかと。

通常の人間より長い時間を得られれば、または時間的な余裕を持ち続けることができれば、
より多くの知識を得ることによって、
より多くの発明や問題の解決策を考えることができるのではないかと考えた。
(本質的にそれが問題解決につながるとは一概に言えないだろうが)

とにかく、それは既存の人間が、通ったことのない道であるから、
非常に多くの物事を把握してかつ、情報を整理していけば、
非常に多くの脳内のニューロンだとかシナプスだとかが結合しあって、
飛躍的に情報の理解が深まるはずだと。

すると、どこかで人間であった思考が
人間を超える瞬間がくるんじゃないかと思うんです。

でも、そんな妄想をしている僕には嫌な現実が迫ってくる。

今日のご飯は、カップ麺ですませるか、メガマックを買うかという問題です。

ロマサガ2をやって気づいたんですよね。
ああ、人間には時間がないんだ、と。
だから、皇帝はどうしたかというと、その意思を次期の皇帝にゆだねた。

ビジョナリーカンパニーという本があって、
前にざっと読んだことがあるんだけど、
何十年、何百年も続いた成功している大企業というのは、
経営者が変わっても、理念という概念以上の企業スピリッツみたいなものが、
次期の経営者にちゃんと受け継がれていくと。
経営者も社員も場所も、取り扱う製品ももしかしたら変わっても、
変わり続けても、なぜか成功し続けられる会社がある。

先週やってた爆笑問題の「太田光の私が総理大臣になったら」とかいう番組で、
太田が政党なんてなくせと言ってたのを聞いて、俺もうんうんと思ってたんだけど、
高橋ジョージだか誰かがこんなことを言った。

政党がなければ、個人は個人の任期の間でしか、政治ができない。
でも、政党があれば、次の選挙で例え自分が選ばれなくとも、
同じ(ような)思想を持った政党が、自分と同じ(ような)理念の政治を続けてくれる。
これが大きな保険だ。と。

ちょっと目からウロコというか目がウロコというか、そんな風に思った。

なるほどそういう考えもあるんだなと。
当たり前のことなんだけど、当たり前にほおほおと感心した。
(たぶんジョージが言ったからであって、大方の政治家から
 そういった匂いがまったくしてこなかったということもあるのだろうw)

「真」に「理想」を求めるのならば、
「現実解」が必要であると、我は思う。

「現実解」というのは、実社会に則した論拠にのっとった方法から判別される行動であるので、
その実現可能性が、単なる科学的推察による論拠に比べれば、
いくらか高いのではないかと思われる。

その上で、歴史的事実や、生物学なんかも踏まえた上で、
スルメイカでも食べながら考えたところ、


 自分が世界を変え得る偉人になるような努力をするよりも、

 自分の「想い」や「願い」を、社会全体が変えてくれるような努力の方が

 結果的に理想を実現するには、解決策として現実的ではないか?


ということである。

ドラクエ5の主人公や主人公の父親は、
世界を救う勇者を求めて旅をした。
パパスはかなりの鍛錬を積んだと思われるが、夢半ばにして倒れた。
しかし、主人公や主人公の息子である勇者が世界を救った。

自分ひとりが勇者になるのではなく、
1000人の勇者を輩出するルイーダの酒場でも経営した方が、
世界を救うためにはよっぽど有意義じゃないのかっちゅーことである。

ルイーダktkr ルイーダマンセー てなもんである。

だんだんとそういう考えに思考がシフトしつつあるのだけれど、

でも、なんだかそれって

「逃げ」のような気がしてならないのだ。

例えば僕は今、英語がまったく話せない。

英語を話す努力は中学のころから何年もしてきた。

でも飽きっぽいから続かないし、実際に外国人と話す機会もないから、

どんどんと忘れてきてしまう。

英検は準2級まで取れたけど、TOEICは190点だった。ひでぶ。


でも、いざ会社を興そうと思えば、英語が出来ることは非常に大きな利点になる。

例えば海外で当たり前に行われているビジネスが、
日本ではまだ未発達だったりするわけである。
そういったものを欧米のブログやサイトなんかから読み漁って
日本版にアレンジするだけでも、ビジネスモデルの第一歩はできちゃうんである。

それに何でもいいんだけども
モノを作るメーカーの場合は、それがホントに通じるものであれば、
どんどんと世界に輸出していくことが可能である。

そうなったらどうするかというと、
やはり通訳の人とか、帰国子女の人とか、
そういう人たちを雇うわけでしょう。

だからと言って、

じゃあもういいや、僕は英語諦めた。

というのは

「なんかめちゃくちゃ 逃げてるみたいで 嫌だ」

理屈で言えば、僕も頑張れば英語なんて普通に話せるようになるはず。
なのに出来ないのは、一言で言えば、本気になってないということ。

じゃあ、いつか本気になるのかと言えば、自分の人生の中で優先順位をつけると、
どうも英語をやっている時間がない・・・・・・ような気がする。
(というのは10年前にもそんなことを考えていたから)

やればできるのに、
やらないで人に頼るって・・・どうなのよ?

て俺は思うわけです。


 それは 逃げ なのか? 賢明 なのか ?


じゃあってんで、僕が勇者になるのは非常に困難ですし、
ルイーダの酒場を経営するのも、それはそれで勇者的素質
(並外れた能力)が必要になるのかもしれない。

まあどっちにしろ大変だってことなんだけどね。


僕は小説なんかかけないし、のだめみたいにピアノは弾けないし、
ダイエットをしようと思ってはじめたマラソンは3日も続かない。
でも、小説も書きたいし、ピアノも弾きたいし、ダイエットも成功させたいわけ。

でも、それができない=それをする努力をしない

というのは、戸棚の向こうにあるチョコレートを食べようと思って、
立ち上がって歩いていって扉をあけてチョコレートの袋を開けるという作業を
しないということなのです。

いや、立ち上がって歩いていくのだけれど、途中であんパンが食べたくなって
引き返して、別の戸棚を開けたてしまうんです。
で、僕はこの近いところにある開かれた戸棚に目がくらんでしまって、
ジャムパンやら、ウグイスパンやらを食べるわけなんですが、
いっこうにチョコレートを食べる努力をしないわけです。

で、あんパンにも飽きて、チョコレートを食べたい叫ぶのだけれど、
ただただ叫ぶだけ。

ここでパパスなら、
チョコレートを運んでくれる人材を探すわけです。
まずは言葉が届く範囲から、誰かチョコレート運んでくれませんかーと。
ダメなら、一歩進んで再び叫ぶ。それでもダメなら、また進んでしゃべる。

ここでスーパーマンは、
再び立ち上がってチョコレートを取りに行く。

なんなら、そのあとでベルトコンベアみたいのを作って、
自動でチョコレートもあんパンも流れてくるようにしちゃうんですよね。

・・・・・・。

いやぁ、非常に分かりにくい例えをしまくりましたね。


 勇者 になるか パパス になるか。


 それは 逃げ なのか? 賢明 なのか?


 



しかし、パパスなら、

それは、ある意味で、やっぱり、

普通じゃないかなと、思うわけで。

酒を飲みながら、説教垂れて、国債発行して、

二酸化炭素を排出しながら・・・将来の君達任せたぜ!ウィーヒック。



しかし、勇者なら、

それは、ある意味で、やっぱり

普通じゃないかなと、思うわけで。

酒を飲みながら、できないことに愚痴を言って、

父さんは本気を出せば出来るんだよ・・・まあ、いつかやってやるからな!ウィーヒック。


・・・・・・。


はっ。

気がついた。

そうか、そういうことだったのか。

ははぁ、なるほど。

やっぱ俺逃げてたのかも。

うん。


勇者であってかつパパスにもなればいいんじゃん!!


そうか、そうだよな。そうこなくっちゃな。

やはり どちらか一つを選択しろ なんて問いには、

自分で立てつつ、反発したくなる。

答えは どちらも だ。


それは可能か不可能か?

一つ一つはおそらく問題を細分化すれば可能なはず。

オーケィ、そんで十分だ。

はじめよう。
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by sepiela | 2007-02-06 01:18 | 思考・洞察・妄想・哲学


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